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ちょっと真面目な話

森山直太郎の新曲「生きてることが辛いなら」に関する論争についてちょっと述べたいと思います。

問題となった歌詞は「~生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい~」という部分です。歌全体を見ずに一部だけ抜き出して議論するのはナンセンスだという意見ももっともですが、あえてこのフレーズに限定して話を進めます。

この手の自殺を幇助する云々の議論はついつい感情的になってしまいがちなのですが、そもそも「自殺は許されるべきか否か」に関して自殺関与罪(刑法202条前段)の保護法益論(有体に言えば、自殺そのものは違法か否か)に付随して法律上の観点からも関心が寄せられる点ですので、自分なりに分析した事があります。以下、簡単にまとめます。

法律論としては、通説的見解は自殺は個人に許された権利であって違法ではなく、自殺関与罪が可罰的なのは他者の生命を左右することは許されるべきではないという根拠に基づくもので、自分もそれで正しいと思います。仮に自殺が違法であるとするならば、考えられる保護法益は①残された家族(特に産んでくれた親)の感情、または②自殺を許す事によって退廃する善良な社会通念、が挙げられますが、個人の尊厳を中核的価値に置く近代社会においては、これらよりも③自らの人生の決定権(これには当然に終わらせる権利が含まれる)が優先してしかるべきだからです。

しかし翻ってみると、自殺は権利であるとするには、その人が十分な知能と知識と情報を得たうえで真意に基づいて決定できることが前提とされなければなりません。具体的には「一時の気の迷いである場合」や「本当は自分を受け入れてくれるコミュニティがあるのに先走って絶望している場合」や「個人破産といった救済方法を知らずに精神的に追い詰められた場合」などは、真意に基づいたとはいえないでしょう(最後のものは実際に刑事事件として扱われたことがあります)。

つまり、一般的に自殺を止めるべきとされるのは、自殺そのものが悪い事だからではなく、自殺を決意したその意思決定過程に何らかの錯誤が存在するからであると言えます。法律的責任と道義的責任は区別しなければなりませんが、この論理は道義的責任論においても生きると思います。

前置きが長くなりましたが、この観点から上記「生きてる事が辛いなら」に関する問題を考えてみますと、「~生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい~」というフレーズは至極当然のことを歌っているだけで、別に事実に反するものではありません。仮にこの歌を聞いて決意を固めたとしても、そこに錯誤が生じたとは言えません。

従って、自分の結論としては直太郎氏の歌を非難すべきではないと考えます。

 

…まぁ、感情的に受け付けないという人が出てくるのもわかりますが。

自分は思春期の間に福本作品(特にアカギ第1話の名言)に大きな影響を受けた人間なので、この歌は極めて正論であって真理であると思います。

ちなみに「自殺が悪いとされるのは多くの場合真意に基づいていないから」という考えは高橋ツトム作「地雷震」の戦場カメラマンの回の台詞がきっかけです。

 「行為はとめられても、殺意はとめられねぇんだ。 …他人にはな!」

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